今日も透明人間もの。
ジョン・カーペンター監督『透明人間』(1992年版)を観る。
『透明人間』(1992年/アメリカ/99min)
これは、昔TVでやってるの観ておもしろかった憶えがあるね。
コメディ要素のある透明人間もの。透明人間になるきっかけってのが、パソコンのキーボードにコーヒーこぼしたらその建物中のコンピューターが壊れちゃって、どんなけ精密な(やわい)キーボードとシステムや?!と思いつつ、それが原因でビルやその周辺が透明化してしまい、たまたま逃げ遅れた主人公も透明人間になってしまう話。
透明人間っていうとやっぱエロいことやイタズラをしたくなるけど、そこは抑えめに透明人間は良い物じゃない的苦労(誰にも存在を気付いてもらえなかったり車に轢かれそうになったり系の)も描きつつ、果たしてどうやって戻るのか?というところだけど、なるほどそっちパターンね。
1992年って微妙な年で、最近な気もするけど結構前やね。メイキングが少し付いてたけどこの頃はCGの黎明期的な時で、今のVFXはかなり進歩してるけど、この当時のはこれはこれで味のある質感。そして、表現として、視聴者には主人公の姿が見える透明人間の体(てい)をとってる部分、逆にそこにいる体(てい)の演技、一人芝居だったりがコントっぽくていいね。
透明人間映画は、人物を映さずにその時代その時代の特撮技術を映し出す映画ですね。
あと、顔に包帯でチェックの襟のガウンスタイルは『透明人間』(1933年)のオマージュをしてるね。1933年版観てたから気付いた。